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ワールドカップとメディアと視聴者

ワールドカップはイタリアの優勝に終わった。
私としては、イタリア、フランスともに優勝には程遠く、もしかしたら一次リーグ敗退もあるかも知れないと思っていた。今になってみると、そんな私のサッカーの見識で、とやかく言っていたことを恥ずかしく思うとともに、「にわかサッカーファン」と言われても仕方ないなと苦笑いをしている。

ところで、今回のワールドカップでは、よくスポーツイベントなどで耳にする言葉「感動をありがとう!」という言葉がテレビをはじめ、各マスコミからほとんど出てこなかった。これはやはり、日本があのような悲惨な結果に終わったことが最大の原因だろう。
代わりによく耳にした言葉といえば、「寝不足」「眠い目をこすって」など、夜中でもサッカーを見ている人が多いということを強調する言葉である。これは、テレビ各局が、そういう人が多いということ示唆することによって、視聴者に「見なければ話題から外れる」と思わせるという一面は否定できない。

だが本当に、このような理由だけでマスコミは言葉を使ったり、使わなかったりしているのだろうか。
私は、前々からマスコミ批判をしているが、実はマスコミはただ視聴者の要求に従っているだけだろうなとも思っている。北朝鮮問題をあおるのも、イラクについてほとんど報道しないのも、視聴者がみたいから、見たくないからというところに落ち着く。つまり、マスコミが市場経済原理のもとにある以上、このようになってしまうのは仕方のないことだと思っている。

このように、メディアは視聴者の要求にしたがっているとするならば、視聴者は感動という意識の部分や、寝不足をこらえてテレビを見るといった行動までメディアに求めていることになる。
これについては、「私はそうではない。むしろ、あのような言葉は腹が立つ部類である」という方はたくさんいるだろう。私も実際そうである。
だが、総体として求めているのではと私は考えている。

その理由としてひとつに、いじめの問題があると思う。
私たち以前の世代は、いじめはその子の弱さや家庭環境から引き起こされていたという実体験を持つ人が多いだろう。
だが、私たちの世代くらいのいじめ、つまり90年代のいじめというのは、いわゆる下克上のいじめである。目立つ行動をしたものは、たとえ今までいじめていた側であっても、いじめられる側になってしまう。
であるなら、そうならないためにも必死に目立たない行動を取る。そのためにも、何らかの指針が必要であった。それは、時にはクラス全体の空気であったり、先生の見解であったりした。
このように全体から外れないことになれてしまい、社会にでたとしても全体を確かめたいという意識が働いているのではと考える。
「世界に一つだけの花」がはやったのも、そういう全体を常に意識せねばならないと思いながらも、それを窮屈に思う意識の現われではないかと思う。

それを敏感に感じ取ったメディアが満たしてあげようとしているだけなのだ。

だがこれを今、国家が拾い上げようとしている。
このことは、愛国心論争などを見ても明らかである。
その先は言うまでもなく・・・
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テーマ:コラム - ジャンル:ニュース

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