コラムニストになるために書く訓練をするのだ!!!

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原爆の日に考えたこと

被害者の立場というのは、利用しようとすれば、これほど有用なものがないほどのものであろう。
「私たちはかわいそうだったんだ。」「相手はこんなにもひどいことをしたんだ。」と言い続け、その役に撤すれば、ある程度の無理が通るからである。

日本は第2次世界大戦では、アジア諸国への侵略という「加害者」という立場と、その後のガダルカナル島での玉砕、アッツ・キスカでの全滅、沖縄戦、本土空爆といった「被害者」という立場を持っている。
そして、その「被害者」としての立場の象徴といえば、やはり8月6日の広島、8月9日の長崎における原爆投下であろう。

原爆における物語や絵画、詩などは日本では広く浸透している。
これはやはり、被害者という暖かい毛布の中に日本人が最もうずくまれるから、あれだけの好評を得るのではないだろうか。

これと同じ構造なのが、拉致被害者や犯罪被害者である。
「その人の気持ちになってみると・・・」や「このようなことは許せない」などとよく言われるが、私から言ってしまえば、こんなものは「被害者」の立場を自分たちも共有したいという心理に他ならないのである。

一方で、日本には第2次世界大戦における「加害者」という立場もある。
これにより、中韓から「戦争を反省していない」などと、何かにつけて批判されている。
これに対して「日本は戦後60年戦争に加担せず、常に平和を求めてきた。であるのに、反省していないとは言いがかりではないか」などといった反論もよくなされているが、なんてことはない、ただ中韓も「被害者」という暖かい毛布から抜け出ていないだけなのである。

要するに日本も中国韓国も暖かい布団から出たくないだけなのだ。
であるのに、日本においては「もうそろそろ、戦争の話はやめて建設的な話をしよう」と嫌韓流などで言われるような論調が強くなっている。よく言うよと思う。そういう人に限って、拉致被害者や犯罪被害者を持ち上げ、被害者としての感情を国民に押し付けているくせに。

ただ、直接の被害者については、被害者の立場を主張する権利も義務もあると思う。
だが、それを利用しようとするものがいる限り、こういう主張には共感をいだくべきではないと思う。

そういえば、もっぱら次の総理と噂のあの人も、拉致被害者における北朝鮮への対応で一躍名を上げ、一方で中韓の主張にはことごとく耳を傾けていない。
この人を叩くつもりは毛頭なかったんだけれども、そんな論旨になってしまったなあ・・・
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テーマ:コラム - ジャンル:ニュース

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